大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和45年(う)508号 判決

被告人 奥谷正一

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、松阪区検察庁検察官中村利彦作成名義の控訴趣意書記載のとおり、これに対する答弁は、弁護人樋口恒通作成名義の昭和四六年二月二五日付弁論要旨と題する書面記載のとおりであるから、夫々これを引用する。

一、控訴趣意中、事実誤認の論旨について。

所論の要旨は、原判決は、本件の事実関係として「自動車運転の業務に従事する被告人が、昭和四四年八月一二日午前九時ごろ、特殊自動車フオークリフト(前方に突き出した長さ一・八五米、厚さ六糎位の荷物を上下させる鉄製の爪二本がついており、進行中の爪の高さは地上より三〇糎以下で本件事故当時は約一二糎)を運転し、松阪市京町三〇二番地の一日通倉庫前広場を南進し、時速五粁位で同広場の門(幅七米)から幅八・一米の道路へ進出左折するに際し、同道路へやや進出した地点で一旦停車して安全を確認したのち、さらに道路上へ進出したところへ左方から進行(自車が左折した場合は対向車)してくる自動車を認めたので、フオークリフトの爪の先端が道路上へ約二・六五米進出した地点で停車したところ、右自動車が被告人車の前面を右方へ通過し、それに続いて後続車二台が右方へ通過し、さらにこんどは逆方向の右方から自動二輪車が被告人車の前面を左方へ通過して間もなく時速三〇粁位で進行してきた本件の被害者山中洋一運転の軽四輪自動車が、被告人車の爪に乗り上げ、一回転して元に復し左方約一〇米の地点左側々溝よりのところに停車し、よつて右山中に加療八〇日間を要する頭部外傷第二型等の傷害を負わせたものである事実および右山中洋一は、自動車を運転して進行中は常に進路前方、左右を注視し、障害物を早期に発見してこれとの衝突等の事故を回避し、公衆に危害を及ぼさないような方法で自動車を運転すべき業務上の注意義務があり、本件現場の見透し状況並びに現場の状況から考えると、右山中洋一が進路の前方、左右の注視を怠らなければ、停車していた被告人車の爪および車体を早期に発見し、停車するなり、或はこれを避けて通過することができ事故の発生を未然に防止し得たにも拘らず、同人は漫然と前方は見ていたものの被告人車の爪は勿論車体さえも気付かないで爪に乗り上げ、初めて被告人車の存在に気付いたものであるとの事実を夫々認定した上、本件の事故は、右山中洋一が自動車運転者として前方注視義務を怠つた結果発生したものであつて、被告人側には何等の過失がないと認定している。

しかしながら、右認定には次のような事実誤認がある。即ち(一)原判決は「本件現場の見透し状況並びに現場の状況から考えると、山中洋一が進路前方及び左右の注視を怠らなければ、停車していた被告人車の爪及び車体を早期に発見し、停車するなり、又これを避けて通過することができ云々」と判示し、現場の見透し状況は良好であり、フオークリフトの爪の識別は容易であることを前提とした認定をしているやに見受けられるけれども、原審において取調べられた各証拠によれば、現場の見透し状況は決して良好でなく、フオークリフトの爪はその識別が困難である。(二)原判決は「山中洋一は前方は見ていたものの被告人車の爪は勿論車体にも気付かず爪に乗り上げ、初めて被告人車の存在に気付いたものであつて、本件衝突事故は、右山中洋一が前方注視義務を怠つた結果発生したものである」と判示し、本件事故は、専ら右山中洋一の前方注視義務違反によるものであるとしているけれども、同人が本件フオークリフトの爪に気付かなかったのは同人の格別の不注意によるものではない。(三)原判決は「爪の先端が道路上へ約二・六五米進出した地点で停車したところ」と判示し、被告人車の本件衝突事故の発生したときの停車位置を右のごとく認定しているけれども、右地点はこれと異なり爪の先端が道路上へ約三・六米進出した地点であることは証拠上極めて明らかである。以上のとおり原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の違法があるというのである。

よつて、所論に対する判断を含め本件の事実関係につきこれを検討してみるに、原審において取調べられた各証拠並びに当審における検証調書、証人水小田修一、秋山勉、山中洋一、松森幸雄、国分薫の各証言および被告人の供述を総合すると、被告人は、松阪市京町にある日本通運松阪支店に勤務し、大型特殊免許を所持して同支店のフオークリフト運転の業務に従事していたものであるところ、原判示昭和四四年八月一二日午前九時ごろ、ガラス積込みの作業があつたためこれに従事すべく右会社倉庫前広場に停車してあつた原判示フオークリフトを運転し、右広場を通り幅員七米の通用門を出て右通用門の塀に沿つている幅員八・一米の道路上に進出左折せんとして右通用門附近に至り、同所で前方の安全確認のため一旦停車した。このときの停車位置は、当裁判所の検証調書添付図面〈1〉の個所であり、被告人の指示により再現されたその停車状況は、同検証調書添付写真No.1のとおりであつて、本件フオークリフトの車体前部に取付けられてある長さ一・八五米の二本の鉄製爪の部分を道路上にやや左寄りの角度で突出している状況である。被告人はこの停車地点において、フオークリフトの運転席からのり出して道路上の左右の安全を確認したのであるが、そのときの道路右方(原判示山中洋一の自動車が進行してきた方向)の見透し状況は、同検証調書添付写真No.3およびNo.4のとおりであつて、右方を見透し得る視野は狭く、従つて相当の速度をもつて進行してくる自動車の安全を十分な距離において確認することができない状況であることが認められる。被告人は、右停車位置に一旦停車して安全を確認したのち、同停車地点からさらに道路上に進出左折せんとしてフオークリフトを進出させたところ道路左方十字路から左折車が進行してきて右フオークリフト進路前方の対向車線を右方に向け進行する状況にあつたので、被告人は安全にこの車輛を通過させるため停車した。このときの停車位置は、前示検証調書添付図面〈2〉の個所であり、被告人の指示により再現させたその停車状況は、同検証調書添付写真No.5のとおりであつて、フオークリフトの車体の二分の一以上が道路上に進出し、前示二本の鉄製爪の先端が、道路中心線までその右側の爪については〇・五米、左側の爪については〇・八三米の間隔(道路側端から中央へ約三・六米)のあるやや左寄りの角度で停車した状況であつて、右停車位置からすれば、本件フオークリフトの車体およびその前部に取付けられた前示二本の鉄製爪により右道路の右方から左方への進行車線をほぼ遮断している状況であることが認められる。この停車地点におけるフオークリフト運転席からの道路右方の見透し状況は、前示検証調書添付写真No.6のとおりであつて、後記説示のとおり道路が彎曲しているため必ずしも良好とは認め難い。次に本件事故現場の道路は、日通倉庫の塀に沿つて東西に通ずる幅員八・一米の平坦なアスフアルト舗装道路であり、本件衝突地点である原判示日通倉庫通用門から右方約三〇米の地点で北方(日通倉庫寄り)に大きく彎曲しており、従つて右停車位置における被告人については、右方三〇米以遠の進行車を、右方から進行してくる自動車運転者本件においては山中洋一については、右検証調書添付写真No.7乃至No.10のとおり右彎曲地点に達するまでは被告人車の停車状況を夫々見透すことが不可能であることが認められ、さらに右彎曲地点から日通倉庫通用門附近の見透し状況は、当審において弁護人から提出された写真(二)のとおりであり、さらに通用門の方向に進行したときの前方見透し状況は同写真(三)のとおりであつて、右道路は前示通用門附近で張り出した形でゆるやかな弓形のカーブをなしており、且つ右道路左側に接して日通倉庫が建てられているため、前方の見透し状況は良好とはいえないけれども、右一連の道路状況が検察官所論のごとく自動車運転者にとつて欠くことのできない前方注視が極めて困難なほど不良であるとは認められない。さらに弁護人提出の写真(二)および(三)並びに当裁判所の前記検証調書添付写真によりこれをみると、道路上に突き出した本件フオークリフトの鉄製爪の存在は、その色彩、形状、位置などから物理的には道路敷きとの識別が容易であることが認められる。原判示山中洋一は、右フオークリフトが右認定の位置に停車中に、右方から時速約三〇粁で進行してきてフオークリフトの爪に乗り上げて本件事故が発生したものであつて、同人が右衝突事故が発生するまで、フオークリフトの爪は勿論その車体にも全く気付かなかつたものであることが明らかであるから、同人がこれに気付かなかつたのは、検察官所論のごとく同人の格別の不注意によるものではないとは到底考えられず、明らかに同人の不注意によるものであることが認められる。本件事故は、以上の状況のもとで発生したものであり、右山中洋一が前方注視義務を尽さなかつた過失によるものであることは前説示のとおり極めて明らかであるけれども、これがために被告人側の過失が凡て否定されるわけのものでなく、被告人の過失は、また別個に考量判断さるべきものであることは勿論である。してみると、本件フオークリフトの事故時における停止位置の点を除き、右認定と同趣旨に帰着する原判決の認定は相当であり、また右停止位置の誤認については、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認とまでは考えられない。各論旨は理由がない。

一、控訴趣意中、本件における被告人の注意義務に関する事実誤認、法令適用の誤りの論旨について。

所論の要旨は、原判決は本件における被告人の注意義務に関し「本件衝突事故は、被害者山中が前方注視義務を怠つた結果、障害車輛の通過を待つて停車している被告人車の爪に気づかずこれに乗り上げたことにより発生したものであり、このような場合本件フオークリフトの運転者である被告人としては、特別の事情のない限り右方から進行してくる車輛の運転者において、前方注視を怠らず徐行、停車若しくはこれを避けて通過するなどして衝突事故を回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであるから、本件被害者のように前方注視を怠つて進行する車輛のあることまで予想して警告を与え、また直ちに方向を変える等して事故の発生を防止すべき業務上の注意業務はないと解するのが相当である」と判示しているが、本件のごとく特殊自動車であるフオークリフトを運転して、道路横の広場から交通頻繁な道路上に直接進出左折せんとする運転者の注意義務の判示としては、極めて、妥当性を欠くものであり、右は事実を誤認してこれを否定したか或は刑法二一一条前段の規定する業務上注意義務に関しその解釈、適用を誤つたかの違法があるというのである。

所論にかんがみ、これを本件の前認定にかかる具体的状況のもとで検討してみるに、被告人が本件のごとく特殊自動車であるフオークリフト(車体前方に長さ約一・八五米厚さ約六糎の鉄製爪二本が地上約一二糎の高さで突き出しているもの)を運転して、原判示日通松阪支店倉庫通用門から、直ちに交通の比較的頻繁な幅約八・一米の道路上へ進出左折せんとする場合は、一時的にせよその道路幅の約二分の一を占拠し、一方の進行車線をほぼ遮断することになるのであるから、右フオークリフトが右のごとく鉄製の爪二本を車体前部に突き出した特異な形態をしたものであり、且つ通常は道路上を運行する車種ではないのであるから、たとえ右突き出した爪の形状、色彩、位置などにより障害物として物理的にはその識別が容易であつたとしても、道路上を一定の速度で進行する自動車運転者としては、一般的にはフオークリフトの形状に対する感覚に乏しく、その車体自体に対しては障害物としての認識が容易であつても、さらにその車体の前部に本件のごとき鉄製爪二本が突き出しているところまでは認識しない場合もあると考えられるから、これに接近する自動車運転者が、ときにはその爪に気付かないでその儘進行し、これと衝突事故などを起こすことも絶無とはいえず、従つて右フオークリフトを運転する被告人としては、尠くとも右フオークリフトが道路上に進出し且つ左折が完了するまでの間は、自ら道路の左右の安全を確認することは勿論、とくに本件の場合においては、右通用門前の道路は、前説示のとおりその右方三〇米の地点において右通用門附近の見透しを遮ぎるように北方に彎曲しており、本件の山中洋一の場合のごとく右方から進行してくる自動車運転者は、前示通用門前に三〇米に迫つた右彎曲地点に至つて初めて通用門附近に停車しているフオークリフトの見透しが可能となるのであるから、その進行速度如何によつては、三〇米先の進行車線を遮断している前記爪の存在に気付かず、これと接触、衝突等の事故を発生せしめ或は避譲措置が困難となることも予想されるので、あらかじめ見張人を立てて道路上の進行車輛の運転者に警告を与え、その誘導によつて安全を確認しつつ左折を完了する業務上の注意義務があると解するのが相当である。

而して、被告人は、前示認定のごとく原判示通用門附近において二回に亘りその安全を確認するためにフオークリフトを停車させており、その都度運転席から道路右方の安全を確認していることが認められるけれども、右説示のとおりさらに見張人を立ててその安全を確認し、その誘導に従つて運転をした形跡は認められない。尤も当審における証人松森幸雄の供述によると、同人は同じく日本通運松阪支店の運転手で、原判示日時積荷作業のため被告人に対し本件フオークリフトを運転して現場にくるよう呼びにきた者であり、被告人が右フオークリフトを運転して通用門附近に差し掛つた際、右通用門の右門柱附近で被告人車のために道路の安全を確認したかのごとき形跡は認められるけれども、これは被告人の明示若しくは黙示の指示によるものでもなく、また確認の程度もフオークリフトの運転状況を漫然と見守つていた程度のものであつたことが認められるに過ぎない。してみると、被告人が、本件の具体的状況のもとで、フオークリフトを運転して原判示道路上に進出左折せんとするに際し、右説示のごとき業務上の注意義務を尽さなかつたことは明らかである。

そして、本件事故は、原判示山中洋一において業務上の前方注視義務を尽さなかつた大半の過失に基づいて発生したものであることは原判示のとおりであるけれども、被告人において右説示のごとき注意義務を尽していれば、本件事故は未然にこれを防止し得たであろうことも考えられるから、一面において、被告人が右の注意義務を尽さなかつたことも、本件事故発生の原因をなしているものと認めるのが相当である。

原判決が、右と認定を異にし、本件事故は、専ら原判示山中洋一が前方注視義務を怠つたことによつて発生したものであつて、被告人には刑責を問わるべき何等の注意義務違反がないと認めたのは、事実の認定を誤つたものであり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、他の論旨に対する判断をするまでもなく原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所においてさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四四年八月一二日午前九時ごろ、特殊自動車であるフオークリフト(車体前方に突き出した長さ約一・八五米、厚さ約六糎の鉄製の爪がついており、当時爪の高さは地上約一二糎)を運転して、松阪市京町三〇二番地の日本通運株式会社松阪支店倉庫前広場の通用門から直ちに、幅員八・一米の道路上へ進出左折しようとしたものであるが、右道路は、車輛などかなりの交通量があり、かつ前記倉庫広場の通用門前から右方三〇米のところで大きく北方(右倉庫寄り)に彎曲していて、右方から進行してくる車輛などの運転者は、右彎曲地点に達するまでは、右通用門附近の道路状態の見透しが極めて困難であり、右彎曲地点を通り過ぎて初めてその見透しが可能となる道路状態にあるので、前記のような特殊自動車であるフオークリフトを運転して右通用門から直ちに道路上に進出左折しようとする被告人としては、右方から進行してくる車輛運転者の前方の見透し状況が右のごとくであることに鑑み、フオークリフトの車体自体については前方確認ができても、その前部に取付けられた鉄製爪の存在についてまでは、右フオークリフトが通常道路上を走行するものでなく特異な形態のものであるところから或はこれに気付かないでそのまま進行して右爪に接触、衝突等の事故を惹起することも予想されるので、あらかじめ道路上に看視人を立て右方から進行してくる車輛の運転車に警告合図をさせ、その誘導によつて安全を確認しつつ左折を完了すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告人はこれを怠り自車の運転席から右方の安全を確認したのみで漫然と右フオークリフトを前記通用門から道路上に発進させ、フオークリフト左側爪の先端を道路中央寄りに三・六米進出させて、右方からの進行車線をほぼ遮断する状態で斜め左向きにした過失により、右後方道路上左側部分を時速約三〇粁で進行してきた山中洋一(二四年)運転の軽四輪貨物自動車の左前部を、フオークリフト右側の爪に衝突転回させ、よつて同人に対し頭部外傷第二型等加療八〇日を要する傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条、三条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額範囲内で被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処し、刑法一八条により、被告人において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、刑訴法一八一条一項本文により、原審および当審における訴訟費用を被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例